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寒くなるとヤッパリ温泉ですかね。

寒くなり…温泉が恋しい今日この頃…

私は、諏訪湖の畔で生まれた。つまり、温泉の町。
私が小さい頃…昭和40年代…家の周りのたいていの家にはお風呂というものがなかった。
我が家には、薪で焚くお風呂があったが、効率が悪いし、各地区には温泉の共同浴場があり、そののほうが便利だから、そっちに行っていた。

 私の好きなのは、昔から朝風呂。
夕方行くと、混んでいて落ち着いて入っていられないので朝入るようになっただけだが、今でも朝風呂の習慣は続いている。
朝、冬などはお風呂上りの髪の毛が凍って、たった10メートルほどの距離の家にたどり着くまでにツララになることもあった。
信州諏訪の冬は寒かった。
その共同浴場だが、各家庭に温泉のタンクを設置して家に温泉が引かれるようになった。それが大体今から30年ほど前。家風呂をつくるようになってからすっかり廃れてしまった。
 それでも母などは、その共同浴場の広いゆったりした風呂に、入りに行くのが好きだった。確かに大きなお風呂はやっぱり暖まり方が違う気がするのであった…
 小さい頃は、よく父と共同湯に入ったが、そこで、覚えているのは、刺青をして人が結構いたこと。背中や腕に、色々な絵が描かれていて、すごいなぁと思ってよく見ていた。諏訪地方では、昔から御柱の奇祭で有名であるから、建築関係の方は刺青を入れている方も多かったのかもしれない。
 お風呂に行けば、必ず一人や二人は刺青を入れている人が入っていたので、私は刺青をしている人が怖いと思ったことがないのだが、今刺青をしていると温泉施設などは入浴を断られるようである。

昔、私の小学校低学年の頃には、冬は凍てつく寒さで、まだ諏訪湖でスケートが出来て、また公魚の穴釣りも流行っていた。
忘れていけないのが御神渡りという珍現象。全面結氷した湖の氷が、夜の寒さで凍り、朝気温が上がって氷が膨張してバリバリと割れてせりあがる。それがずっと長く湖を横断するほど続いている。まるで、神様が通った後のようだと言う事で「御神渡り」の名前がある現象である。幼い頃は、自分の背よりも大きくせり上がった氷の塊に、何となく恐れを感じて見入った覚えがある。しかし、今は温暖化で2~3年に1度それもほんの小さな規模の物しか見られなくなったが、屈斜路湖では、今でも立派な物が見られるとのこと。

諏訪湖は、湖の中から所々で温泉が湧き出ていて、たとえ厚く氷が張っていても温泉が湧きあがるところでは、氷が薄くなっていたりして、結構湖に転落する事故もあった。氷の薄い場所にはちゃんと赤い旗が立ててあってそこは危険だとわかったはずだが、まぁ昔は、雪も結構積るほどに降ったし寒かった。だから、氷の上に雪が積れば、何処が薄いのか分らなかったのかもしれない。それでも、冬になれば、父に連れられて諏訪湖でスケートに行った。滑っていると、時々氷にひびが入る音が響く。キィーンコーンコーンコーンと音を立てていて、その音が移動していく。それはちょっと怖かった覚えもある。公魚は釣れると、何匹も連なって上がってくる。釣れた魚を氷の上に置いた途端、凍ってしまうのも、今思えばよほどの寒さだったと思うが…面白かった。通な人達は、その場でてんぷらにして食べていたようであったが…

小学校の高学年になると、その諏訪湖が、温暖化のせいか凍らなくなり、蓼の海(たてのうみ)という山の上のほうの人口湖でスケートをすることが多くなった。本来山道では1時間半以上かかり、バスで行くところだが、中学の時は、スケート教室は現地集合という事で歩いていった。それでも、今の世の中では考えられないことだ。冬山の中をよく遭難しなかったなぁ。熊さんは冬眠していたのかな。と今は思う。結構無謀な計画だったのではないか?
その蓼の海の、スケート場は今は面影すらない。
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