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弟の生まれた日。

寒すぎる日々が続く。

昨夜。寝ぼけながら、突然、弟の生まれた日のことを思い出した。
そういえば、そろそろ弟の誕生日だ。

私が、3歳のときだから…

もう、40年以上昔の話だ。
途方も無い昔…

2月の寒い日だった。

それまでずっと母チャン子だった私が突然父チャン子に変身させられた日である。
いうなればよくあるパターンだが…

当時。
母は、実家の10畳間で、お産婆さんを呼び、自宅で出産。
モチロンの事、その部屋には入れてもらえなかった。
母が、苦しがっている声が聞こえて、その部屋の外で、私が中に入れてもらおうと「ぎゃ~ぎゃ~」と叫んでいた。
母の母(つまり私のおばぁちゃん)が、手伝いに来てくれていて、忙しそうに台所の横でマキをくべて共同湯のタンクの横からバケツで何回も温泉を汲んで来て入れたお風呂が冷めないようにお風呂を沸かしていた。

いつもなら、近所の共同湯に行くのに、何で家でお風呂を沸かしているんだろう?と、思っていた。
それは、生まれ出でる赤ん坊の為の産湯であった。

それを、隣で見ながら、母にちっともかまってもらえず、ぐずっていた事を覚えている。
考えてみれば、母にしてみても、陣痛でそれどころでは無かっただろう。

私のときは、病院で産んだが・・・

もう、2回目だし、そんなに自宅で産むのも珍しくない時代だったし…ということで、自宅出産を選んだのだろう。

特に、大変な事も無く。弟は無事生まれた。

じゃあ何故。私がそんな事を鮮明に覚えているのか…

何でだろうかと考えてみるに…

それまで、一人っ子だった私の母が…その日を限りに「弟」というカイブツに母を取られてしまった日だったからに相違ない。
それまで、あまり世話をしてくれた覚えが無い父が私の面倒を見てくれるようになったのは確かだ。
それから、私は父チャン子になった。

だから、小さい頃から、毎日、諏訪の共同湯に行くのは、父と一緒であった。
御柱の気質の諏訪人は、結構刺青をした人々が多く凄い立派な絵を入れていた。
お風呂で、良く覚えているのがその凄い刺青をした男の人の背中であった。

それにしても…
昔の、諏訪は寒かった。それに、今みたいに雪が無い冬なんて考えられなかった。
あの日も、 庭一面に雪がつもっていたなぁ~

その、弟も、もう、四捨五入すると50歳だょ![がく~(落胆した顔)]


タグ:共同湯 産婆
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